経済法ガール

 ※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

第1話~平成24年第1問(その1)

 八重桜の花びらがラウンジの窓の外で舞うのを、僕はぼんやりと見ていた。

 傍らには予備試験の過去問、択一問題集*1、いつも欠かせないノートPC。そして、経済法の教科書と平成24年度の司法試験選択問題が無造作に広げられている。

 僕は自習室が嫌いだ。ロースクールの自習室はみんな息苦しい程、朝から晩まで机にかじり付いている。どことなく漂う、必死さと悲壮感。うっかり音も立てられないほどの緊迫した雰囲気。これだけ勉強して、時間もお金もかけて、合格しなければどうなるのか。合格したって就職できるのか、生活できるのか。自習室にはそんな不安といら立ちが渦巻いている。

 そんな中で、大量に課される授業の予習もせずに、予備試験の問題集を開いていようものなら、不快な視線を浴びることになる。「予備試験合格者は司法試験合格率が高い」「予備試験合格者は就職に有利」なんていう不確かな情報まで飛び交って、変なやっかみまで買う。ただ僕は、僕の実力を試したいだけなのに。

 だから僕はロースクール生の居ない、このラウンジに逃げる。誰にも勉強している姿を見られたくない。誰にも会いたくない。だから、ここで勉強していた。はずだった。

 それなのに、僕は今、2週間も前から、ここで「誰か」を待ち続けている。ノートに書かれた「Non-Disclosure Agreement」の美しい文字は、明らかに邪魔なのに、まだ消せずにいる。黒く長い髪。白く柔らかい手。そして、花の香り。そう、こんな風にかすかに香ってくる桜のような。

「部長会?」

 びっくりして振り向くと、いつのまにか彼女が隣に座り、平成24年度司法試験の経済法の問題をのぞき込んでいた。幻覚かと思った。

「わっ、びっくりした。いつの間に。」
彼女は僕の質問を無視して、僕の経済法の教科書を手に取る。
「経済法は、どのくらい勉強したの?」
真っ白の教科書をペラペラとめくりながら、こちらを見ずに尋ねる。
「・・・学部の時に、一応履修だけは。ただ、予備試験とロースクール入試の勉強で忙しくて、試験直前に詰め込んだだけで、もう忘れてしまいました。予備試験や入試の試験科目でもなかったし。」
「ふうん。じゃあ、とりあえずこの平成24年度第1問では、どんな行為が問題となっているか、くらいはわかる?」
「部長会という怪しげな会合で、値上げについて合意したとか、してないとか言っているので、価格カルテルが成立するかどうかだと思いますが。」
「価格カルテルって何?」
何、と聞かれてはたと立ち止まる。この間、自分こそ、何の前提もなしに「価格カルテル」って言っていたじゃないか。
「第一、カルテルと談合の違いって何?」
「談合は、入札談合って言うくらいですから、官公庁が何かを調達するために入札する時に、入札予定者がみんなで集まって誰が受注するかを決めて、価格をつり上げる行為じゃないんですか。カルテルは・・・。入札談合以外で、なんかライバル同士で集まって、ある製品の価格を上げようって合意することですかね。」
「そういう行為って、何故悪いの?」
「だって、談合やカルテルがなければ、その商品をもう少し安く買えたかもしれないですよね。談合の場合は、官公庁が高く買うということになるので、税金がどんどん出て行っちゃうし、カルテルの場合は、消費者が害される。」
「うん。じゃあ、そんな行為を取り締まって、一体何を守りたいんだろう?」
「・・・消費者の、利益?」
「終局的にはね。独占禁止法第1条。」
彼女はまた勝手に僕の六法をパラパラとめくる。一度も見たことも使ったことのない後ろの方のページだ。

第一条  この法律は、私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止し、事業支配力の過度の集中を防止して、結合、協定等の方法による生産、販売、価格、技術等の不当な制限その他一切の事業活動の不当な拘束を排除することにより、公正且つ自由な競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的とする。

「長くてわかりにくいけど、要するにカルテルとか談合とかそういう行為を禁止して、企業による独占や、不当な拘束を排除する。その排除によって、公正で自由な競争を促進する。その競争を促進することで、一般消費者の利益を確保するっていう構造になっている。
 消費者の利益の保護は究極の目的だけど、直接保護している訳じゃない。保護しているのは、『公正で自由な競争』。だから、基本的には競争を阻害するような行為が、独占禁止法で禁止されている。何故、競争を守ると、消費者の利益保護につながるかはわかる?」
「例えば、大学構内に食堂がひとつしかないと、その食堂は営業努力をしなくても済むから、僕たち消費者は高くてまずくてサービスの悪い昼食しか食べられない。だけど、まずい食堂の独占を排除して公正な競争を守ると、食堂がそれぞれ顧客獲得のために競争し合うことになるから、僕たちは安くて美味しくてサービスの良い昼食にありつける。って感じですかね。」
「そうそう。よく覚えているじゃない。そんな訳で、独占禁止法は『競争法』とも言われる。グローバルにはこっちの呼び方の方がスタンダードかな。
 この辺は公正取引委員会が自分たちの存在意義のアピールのためにHPで頑張って広報活動しているので、そっちに譲るわ。子ども用のマンガ*2 まで作っていて、結構わかりやすいから。」
 そう言って彼女は傍らに開いていた僕のノートPCの画面に顔を寄せ、勝手に叩く。不意に近づかれて、不覚にもドキっとする。彼女の陶器のような肌。画面では「どっきん」という名の犬らしきキャラクターが踊っていた。まるで僕の鼓動を見透かされているみたいだ。
「気に入ったら、デスクトップの壁紙にしておくと良いよ。」
「ぜ、善処します。」
 彼女のPCのデスクトップは、やっぱり「どっきん」の壁紙なんだろうか。

「で、カルテルと談合の違いだけど。独占禁止法3条。」

第三条  事業者は、私的独占又は不当な取引制限をしてはならない。

「カルテルも談合も、どこにも出て来ませんけど。」
「実はカルテルという言葉は、法律には登場しない。談合は刑法や入札談合等関与行為防止法に登場するけど、独占禁止法には登場しない。この『不当な取引制限』というのが、カルテルのことも談合のことも指す。定義規定は独占禁止法2条6項。」

第二条 6  この法律において「不当な取引制限」とは、事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することをいう。

「ホントだ。区別されていませんね。」
「この不当な取引制限の本質は『複数の事業者が共同して何らかの行為をすることにより、市場における競争を制限する行為』。そういう意味ではカルテルも談合も違いはない。
 一応公正取引委員会は、カルテルを『事業者又は業界団体の構成事業者が相互に連絡を取り合い,本来,各事業者が自主的に決めるべき商品の価格や販売・生産数量などを共同で取り決める行為』、入札談合を『国や地方公共団体などの公共工事や物品の公共調達に関する入札に際し,事前に,受注事業者や受注金額などを決めてしまう行為』と説明している*3 。でも、論文によっては、『カルテル』と言っているのに入札談合を含んでいたりすることがあるので、文脈での判断が必要ね。」
「それは単に翻訳の問題ではなく?」
「『カルテル』、つまり、“Cartel”という言葉の定義が一義的じゃないっていうのは、英語文献を読んでいても同じ。たとえば、価格カルテルは英語で"Price fixing"というけれど、Price fixingのことを指して単にCartelって言うこともあれば、入札談合、つまり、"Bid rigging"も含めてCartelと呼ばれることもある。後者の典型例は、Price fixingとBid riggingを合わせて、『ハードコア・カルテル(Hardcore Cartel)』と呼ばれていることかな。その他に、『Aさんは日本で売って、Bさんはアメリカで売ろう』みたいな市場分割カルテルも、"Market sharing"と呼ばれ、ハードコア・カルテルに含まれる。ちなみに、これらのハードコア・カルテルは、グローバルに当然違法な行為、“per se illegal” だとされているわ。」
「ちょっと、いきなり英語が出てきたんですけど、独占禁止法って日本だけの法律じゃないんですか。さっきからグローバルって言ってますけど、日本には関係ないんじゃ。」

 彼女の綺麗な眉が、少しだけ上がる。何か、まずいことを言っただろうか?
「そっか、そこからなのね。『独占禁止法』という法律は確かに日本の法律だけど、同じように公正で自由な競争を守るための競争法は、世界各国100カ国以上で整備されている。アメリカ、EU、日本と少しずつ差はあるけれど、枠組みは世界各国でかなり共通する部分が多い*4 。今まであまり競争法が整備されていなかったアジアでも、EU競争法をベースとしたASEANの競争法ガイドラインに沿った競争法の整備が進められている*5
 ビジネスがグローバル化すると、色々な国の市場に影響を及ぼすってことだから、各国の競争法が適用されるリスクが高まる。しかも、最近では、マリンホース事件やブラウン管国際カルテル事件を皮切りに、グローバルにビジネスを展開している日本企業が国際カルテルで捕まる例が頻発しているわ。例えば、EUでは莫大な課徴金が課されるのが特徴だけど、最近では2012年に課徴金が一社につき約4億ユーロという額にのぼった例*6もある。」
「2012年のレートが大体1ユーロ100円だとすると、4億ユーロで400億円ですか・・・。」
それだけの金額を課されると、カルテルで稼いだ利益なんて、全て吹っ飛んでしまうんじゃないだろうか。
「もっと怖いのがアメリカで、CEOや営業責任者・担当者が実際にアメリカの牢獄に入れられたり、クラス・アクションが起こったりする。
 クラス・アクションって知ってる?個々の消費者が集まって、企業から損害賠償を得るための訴訟のこと。『カルテルがなければ、もっと商品を安く買えたはずなのに!』って訳ね。大体成功報酬狙いの弁護士がけしかけて、消費者も『貰えたら儲けもの』って感じで訴訟を提起するんだけど、一人ひとりが貰える賠償額は安くても、集団になると、企業にとっては莫大な損害賠償になる。しかも、アメリカは陪審制だし、ディスカバリーといって、膨大な書類や電子データを開示しなければならないなど、訴訟に対応するだけでも、とっても大変。弁護士費用も目玉が飛び出るほど高いしね。
 そういう訳で、競争法違反のリスクは、市場がグローバル化すればするほど、海外進出すればするほど、どんどん高くなる。でも、知っての通り、もう日本企業は、日本だけのビジネスでは生きていけない。リスクを取ってでも世界市場で戦わなければならない。今や、企業にとっては国際カルテルの防止が、経営上、特にコンプライアンス上の最重要課題と言っても過言ではないわね。だから、ビジネスローヤーにとって、競争法は必須科目だって言っているのよ。」
 そう彼女は一気にまくし立てた。いつもはどことなく冷たい雰囲気の彼女だけど、実は熱い心を持っているのかもしれない。少なくとも経済法に関しては。
「ちょっと熱くなりすぎたわね。まあ、それだけ経済法、というか競争法はグローバルビジネスにとって欠かせない存在なのよ。司法試験や法科大学院では、『ちょっとマイナーな選択科目』に甘んじているけれど。君も予備試験と司法試験に合格して、大手法律事務所へ入所して、グローバルビジネスに携わることを希望しているなら、よく勉強しておきなさい。」
「はい。努力します。」
「うむ、よろしい。」
彼女の迫力に気圧されて、僕が素直にそう言うと、彼女は、満足そうに微笑む。
「では、今回の価格カルテルに戻りましょう。今、話したような背景もあって、カルテルが出題されたのは必然とも言えるわね。独占禁止法2条6項をもう一度開いて。」

第二条 6  この法律において「不当な取引制限」とは、事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することをいう。

「この条文から、『不当な取引制限』と言えるには、どんな要件が揃っていたら良い?」
「ええと、まずは『事業者』であること。それから、『契約、協定その他何らの名義を・・・』ん?これって、どこまで繋がっているんですかね。」
「そうだよね、わかんないよね。2条6項の定義規定は、悪文であるとも言われているわ*7
 わかりにくい条文だけど、独占禁止法の条文は講学上、『行為要件』と『効果要件(弊害要件)』に分かれている。行為要件は、禁止されている行為そのもの。どんな行為をしちゃダメかっていうカタログね。
 効果要件は、その名の通り、競争制限効果が生じているという要件。独占禁止法はさっき言った通り、公正な競争を守るための法律だから、どんなに行為要件に該当する行為をしたって、競争が制限されていなければ、別に取り締まる必要はない。だから、実際に競争が制限されてますよ、っていう効果も要求される。

一応、条文になぞらえて分けると、行為要件が、

①事業者が、

②何らの名義をもつてするかを問わず、

③他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行すること

の3つ。といっても、②は修飾語みたいなものなので、実質は①と③ね*8

一方、効果要件は、
④公共の利益に反して、

⑤一定の取引分野における競争を実質的に制限することの2つ。それぞれの要件の細かいところは問題を解きながら解説するとして、早速問題を見てみましょうか。」

 そう言って、彼女は僕から経済法の問題をすっと取り上げる。一瞬だけ触れた指先。わざとなのか、偶然なのか。僕は、カルテルや談合などという不当な取引制限についた無意味な名前よりも、彼女の名前が、そして、彼女が一体何者なのかが、気になって仕方なかった。

****************

様子見で2週間もお待たせしてしまい、申し訳ありません。
こっそり細々と書いていくつもりだったのですが、思ったよりも多くの反応を頂き、大変驚いています。
誠にありがとうございます。

「司法試験から選択科目が消えるかもしれない」と言われる昨今、あえて選択科目を取り上げる以上、やはり「一度も経済法を履修したことがない人」をターゲットに据えるべきと思っており、最初のうちはかなり前置きが長くなってしまいそうです。結局、問題検討に入れておらず、すみません。

今回のポイントは公取ゆるキャラ、「どっきん」ちゃん(くん?)です。壁紙も本当に公開されています。

大島先生が憲法ガールを1話あたり3~4時間で書き上げたという話をお聞きし、じっと手を見るばかりですが、どうか夏休みにご期待下さい・・・。

id:ronnor様の法学ガール(◯法ガール)まとめ - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常にて◯法ガールシリーズとして取り上げて頂きました。ありがとうございます!刑訴ガールも楽しみにしております!

*第0話(その1)としていたのですが、第0話を書き進めると思ったより周囲に身バレしそうなので、方向転換し、今回から第1話(平成24年第1問)に入ることにしました。もしかしてアイツかもしれないとうっすらお気づきのリアル知人の方、生暖かい目でそっと見守って頂ければと。

twitterからご覧頂いている方が多いようなので、更新情報用アカウント@comp_juristを作成しました。フォロー・RT大歓迎です。ただし、本格的にtwitterを始めだすと勉強時間が削られ、ただでさえ遠い合格がさらに遠のきますので、中の人はツイート・リプライ等をしません。ご了承下さい。

*1:予備試験の択一試験問題は7割ほど司法試験の択一試験と共通の設問が出題されます。その関係で司法試験の科目順も変わりました。予備試験開始前は択一試験→論文試験でしたが、予備試験開始後は論文試験→択一試験となり、最終日の日曜日に司法試験択一試験と予備試験択一試験を同時に実施しています。

*2:https://www.jftc.go.jp/kids/off_sound/manga_index.html参照。

*3:http://www.jftc.go.jp/dk/dkgaiyo/kisei.html参照。

*4:カルテル・談合の禁止の枠組みなどは、ほぼ全世界共通ですが、アメリカでは優越的地位の濫用がないなど、少しだけ違う部分もあります。公正取引委員会のHPにて世界各国の競争法の概要を掲載しています。https://www.jftc.go.jp/kokusai/worldcom/index.html

*5:ASEAN加盟国では2015年までに競争法を制定することとなっており、ASEANから加盟国にガイドラインが示されています。http://www.asean.org/communities/asean-economic-community/category/competition-policy

*6:ブラウン管国際カルテル事件では2012年12月にLGディスプレイが1社で3億9194万ユーロの制裁金支払命令を受けています。日本企業でもパナソニックがグループ計で2億5210万ユーロ、東芝が2万8000ユーロの命令を受けており、9社で計14億7052万ユーロの制裁金を受けています。http://europa.eu/rapid/press-release_IP-12-1317_en.htm?locale=en

*7:白石忠志「独占禁止法(第2版)」124頁。独占禁止法は終戦直後の1947年に制定されており、原案はGHQから提示されたものなので、憲法の前文が悪文だと言われているのと、同じ現象かもしれません。

*8:②をわざわざ要件としない方が主流のような気がしますが(金井他「独占禁止法(第3版)」44頁、有斐閣アルマ「経済法(5版補訂)」90頁など)、ネタ本である菅久修一編『独占禁止法』では要件として独立させていたため、ここでは一応要件として分離させています。